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知的ワクチン


みなさん、こんにちは

サニーサイドアウトドアスクールの上野です。

前回「マスク、トイレットペーパーの買い占めについて」書きました。

「人々の間に、差し迫った脅威が共有されている」
「全員に行き渡らない」
この条件が揃うと、人々はパニック行動を起こしてしまいます。

トイレットペーパーは、在庫があるといくら業界団体が広報しても店頭にいつもトイレットペーパーが積まれている状態になるまでは人の不安感は消せません。すでにデマが一人歩きしている状態です。

新型コロナウイルスが収束するまでは、見えない不安感のため、デマや流言で、群衆のパニック行動が起きる可能性があります。

今回は、デマや流言に惑わされないためにはどうするのかを考えます。

知的ワクチンという考えです。


知的ワクチン
 未だ経験していない苦難や災害に対して、それに対抗する力、免疫力を、我々日本人が持たなければならないだろう。そして、そのために必要なのは知的予防接種ではないか。

 つまり、「知的ワクチン」である。

 ワクチンは、感染したことのない病原体から人や動植物を守るために、病原体またはその一部を人工的に用いて疑似感染を起こすことで、その病原体に対抗する抵抗力(抗体)を作り出す物質(医薬品)である。

 同じようなアイディアの延長線上に、知的ワクチンがある。

 私は「読むワクチン」「聞くワクチン」など、素敵なワクチンがこの際特に必要だと思う。私的ワクチンを自覚的に自分自身に打つことで免疫力を持たなければならない。

『どんな災害も逃れる処方箋 疑似体験「知的ワクチン」の効能 広瀬弘忠 著

災害など異常時における人の行動は、同じような傾向を持ちます。

知的ワクチンとは、過去にあった出来事から学ぶことです。
トイレットペーパー騒動は、1973年のオイルショックで同様の買い占め行動が起こり混乱しています。

デマや流言が発端で、連鎖的にパニック行動を止めるためにはどうしたら良いのでしょうか。

アドラー心理学では、人は家族から学校、地域、国など共同体に所属していて、判断に困ったらより大きな共同体を考えよ、といっています。

家族など身近な共同体のために、持てるだけ買い占め、買いだめしてしまうのではなく、もしその地域で買い置きや必要な人のために、一ヶ月分だけにしておこうと節度を持つものです。


〜人は一人だけで孤立して生きているのではなく、全体との関わりの中で生きているわけですから、全くの私的な、あるいは個人的な意味漬け(私的感覚)ではなくコモンな(普遍的な)判断としての「コモンセンス」を持つことが有用であり、重要である、とアドラーは繰り返し説いていています。(『個人心理学講義』28から9ページなど)。

コモンセンスは、しかし常識とは必ずしも重ならないので、「共通感覚」と言うこなれない言葉を使うことにしています。今現に私たちが属している社会の通念に合致しているのがいいのか、それに対してノーと言うのがいいのか判断に迷ったらより大きな共同体を考えよ、とアドラーはいってきました。

『アドラー心理学入門』岸見一郎 著 より

目に見えない感染症や災害時の時には、条件が重なると群集心理によるパニック行動が発生して、全体としては誤った行動をとり、事故に発展することがあります。

すぐに反応するのではなくて、考えるという習慣が必要です。


刺激と反応の間には選択の自由があるという原則である。
選択の自由の中にこそ、人間だけが授かり、人間を人間たらしめる4つの能力(自覚、想像、良心、意思)がある。

『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィ 著

まだ収束は見えないとはいえ、ライフラインや物流が止まっているわけではありません。

自分はどの情報に反応し、どのような行動をとったのか。

最適な行動はどうだったのか。

自分で知的ワクチンを処方してみてはいかがでしょうか。


投稿者名 上野陸 投稿日時 2020年03月03日 | Permalink