焚き火の前ではウソがつけない
先週末に富士山フェスという大人の学園祭に参加していきました。
みんながそれぞれ得意なものを手作りで提供します。
私は場所をよく知っているところで、パラグライダー体験と焚き火で参加しました。
今日は、焚き火について書いてみます。
焚き火が佳境に差し掛かったところ、どこからともなく「焚き火の前ではウソがつけない」との声が聞こえました。
なるほど。
これはモラルとかの話ではなくて、焚き火の本質的な鋭いところをついているなと感じました。
火を扱えるのは人類だけです。
諸説ありますが、その歴史は100万〜数十年前に遡ります。
暖をとる。
調理する。
コミュニーケーションのために。
信仰のため。
火は私たちの生活や文化、精神文化を形つくってきました。
焚き火に触れていると太古の記憶が甦ってくるのかもしれません。
焚き火の火は一瞬たりとも止まってはいません。
常に揺れています。
「見ていて飽きない」
「いつまでも見ていられる」
焚き火は、火を保つために薪をくべ手当てする必要があります。
イメージする火にするためにはどの薪をどこにくべるのか、生け花のようなアートに近い感じです。
焚き火があると、テーブルのように人を見て会話をするのではなく、火を見ながら火を介して会話をしています。
対面して話をすると、立場とか社会性などに意識が向いて、多少なりとも緊張感が出ますよね。
この火を見るというワンクッションが、緊張感を和らげ、、自分でも気づいていない本音が出てくるのではないかと思います。
焚き火に当たっていると、あるところから時間の感覚が曖昧になってきます。
心の緊張感が溶けてくる時間です。
そうすると、深い話になってきます。
自分でも忘れていたことや、自分でも気づいていない気持ちが湧き出てくるゴールデンタイムです。
冒頭のウソがつけないというのは、こういう状態のことを言ったのではないかと感じました。